院長ブログ

『スパイス史のまとめ』 その3

カレー大学院の推薦図書「スパイスの人類史」のまとめをシリーズにてご紹介させていただきます。

西の交差点、アラビア半島

・ジンジャーと砂糖が海の交易路に沿ってゆっくりと広まり始めた頃、アラビア南部の香料も、その産地である砂漠の国の外で知られるようになった

・東洋と西洋におけるスパイス貿易の最も古い中心地を見てきた

・では、その二つの地域を結ぶ、あるいは旧世界の各地を結ぶ遠距離貿易路はどれくらい古いのであろうか?

・紀元前六世紀の詩に 『カシア』の記載あり(紀元前七世紀には地中海沿岸地域に到達していたであろう)

古代の二大交易路

・スパイスやその他の高価な産物が、東洋と西洋の間を行き来する際にたどった、歴史的に有名な二つの交易路は インド洋航路 と シルクロード である

インド洋航路

・中国南部原産のジンジャーは、マレー群島に、そこからさらに東アフリカに移植され、紀元前一世紀には地中海沿岸地方で入手できるようになっていた

・シナモンとカシアはそれよりさらに東から西洋まで運ばれ、遅くとも紀元前七世紀には、忘れ難い芳香を持つ恐ろしく高価なスパイスとして、地中海沿岸地方に到達していた

・紀元前100年より少し前に、ギリシャ人の船乗りが、しかるべき季節に出航すれば、沿岸航行しなくても、安定した季節風によって船が安全に海を渡れることができると気づいた

・インド・エジプト・ローマとの貿易は、この発見のお陰で画期的な前進を遂げた

・そしておそらく七世紀に、オーストロネシア語を話せる船乗りたちが、あの大きな島マダガスカル島に住み着いたらしい

・その証拠に、言葉だけでなく、彼ら特有のアウトリガーの付いた船が今も使われている

・彼らはすでにマラッカ海峡から東アフリカまでの沿岸一帯を熟知していたであろうし、オーストロネシア人の移住はインド南部からペルシア湾沿岸にまで及んでいる

・十四世期末に、スマトラから亡命した一人の将軍が、マレー半島の海岸に海港を築いた

・港は巧妙に選ばれた場所にあった スマトラ島とマレー半島を隔てる海峡、つまり現在の「マラッカ海峡」が最も狭くなっている地点に位置していたのだ

・今では、百数十マイル南にある都市国家シンガポールにお株を奪われている

・1497~1498  ヴァスコダ・ダ・ガマはアフリカ南部を回る航路の開拓に成功 →ヨーロッパとインド洋航路が直接に繋がった

・それから二十年も経たずに、ポルトガルはマラッカを占領した

・ゴマ のような重要な植物がインドと東アフリカの間を旅していた

・記録に残るだけでも、中国人・マレー人・インド人・ペルシア人・アラブ人・エジプト人・ギリシャ人・ユダヤ人・アルメニア人 がこの海域で交易を行なっていた

・こうした交易の旅は危険極まるものだった  「大勢が死んだ」 「港を直前に乗組員全員を乗せたまま沈んだ」 「沈没を避けるために高価な船荷を泣く泣く投げ捨てた」

つづく

次回は『シルクロード』

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