院長ブログ

『スパイス史のまとめ』 その5

3 母なるマレー群島
スパイスを生む島嶼
・「東の十字路」 砂糖とジンジャーは、ここを通って運ばれ、一地方の食べ物から全世界が追い求める美味となった最初の産物である
・オーストロネシア人が移動を始めた頃、マレー群島には先住民がいたが、その海岸地方ですでに確立していた文化と激しく張り合うはめになったろう
・オーストロネシア人移住者が辺りを一掃する中で民族の独立と、独自の言語や文化を維持することができたのは、その民族が供給するクローブが需要の高い産物となっていたため、生産者たちは裕福で社会的地位も高く、また熟練した船乗りだったであろう

ポルトガルの支配
・十三世紀になってマレー群島にイスラム教が伝来したが、クローブやナツメグをはじめとする各種のスパイス貿易は何ら影響を受けることなく、むしろいっそう盛んになった
・マラッカは、マレー群島のスパイスとインド洋航路の船が出合う積み替え港だった
・1498年に初めてインドに到達したポルトガル人は、スパイス産地を求め絶えず東へと進み続けた 
・1509年にポルトガルのある遠征艦隊が初めてマラッカに到達した(その最初の目的は、伝説的な貿易港に足場を確立することだった)
・インド総督で艦隊司令官のアファンソ・デ・アルブケル以後、130年間にわたって、ポルトガルはマラッカを占領し、そこを基地としてマレー群島の探検を進めた

 母なるマレー群島の次回は「植民地時代の始まり」 について

 つづく

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